aminの勉強部屋

地方公立中高一貫生の勉強記録

陶淵明 雑詩其一

今日は陶淵明の雑詩其一を読んだ雑感を書いていきます。


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この詩について

まず、雑詩というのは、無題詩の一種です。全部十二首あります。全て同時に作られたかは定かではありませんが、第六首に

奈何なれば五十年、忽ち已に此の事を親らず

という句があることから陶淵明の晩年の作だと推測できます。特に

盛年重ねては来たらず 

一日再び晨なり難し

時に及んで当に勉励すべし

歳月人を待たず

の部分が有名で、時間は有限であるから学問に励むべきといった意味で用いられがちです。しかし、全体の意味では、時間は有限であるから人との繋がりを大事にし、楽しもうといった感じであると思っています。

詩の中身

四句ずつ見ていこうと思います。

人生根蔕なく

飄として陌上の塵の如し

分散し風に随いて転ず

此れ已に常身に非ず

まず、一つ一つの語を見ていきます。

  • 根蔕…根元とへた
  • 飄...風の吹く様
  • 陌上...道の上
  • 分散...わかれわかれになる
  • 随風...風に従う
  • 轉...うつる
  • 常身...永遠に変わらぬ体

これらのことを元にこの四句を訳してみると

人生は(しっかりとつなぎとめる) 根やヘタのようなものはなく、風に散る路上の塵のようだ。わかれわかれになり風に従ってうつり、永遠に変わらない体を保つことはない。

というようになります。この四句では人の命の儚さを詠っています。

さて、次の四句を見ていきましょう。

地に落ちては兄弟と成る

何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや

歓を得なば当に楽しみを作すべく

斗酒をもて比隣を聚めん

 一つ一つの語を確認します。

  • 落地...世に生まれ出る、誕生する
  • 兄弟...兄と弟
  • 骨肉...身内、肉親
  • 斗酒...少量の酒
  • 比隣...となり近所

この四句を訳すと、

この世に生まれては(みんな)兄弟となる。必ずしも肉親だけではない。歓楽の機会を得れば楽しみを尽くすべく、少量の酒であっても近所の人を集めよう。

といった感じでしょうか。

では冒頭でも紹介したこの詩の最後の四句を見ていきましょう。

盛年重ねては来たらず 

一日再び晨なり難し

時に及んで当に勉励すべし

歳月人を待たず

語句を確認します。

  • 盛年...若い時
  • 重来...ふたたびくる
  • 一日...朝から晩まで
  • 晨...あさ、夜明け
  • 及時...なすべき時に
  • 勉励...つとめはげむ

訳すと、

若い時はふたたび来ることはない。一日に二度の朝はない。なすべき時につとめはげむ(楽しみを尽くす)べきである。歳月は人を待ってはくれないのだから。

といった感じです。

陶淵明と酒

陶淵明は有名な隠遁者であり、杜甫李白以前の代表的な詩人です。しかし陶淵明と聞いて、誰もが思い浮かべるのはではないでしょうか。彼の詩で現存している詩は130首ほどですがそのうち半分以上に酒が出てきます。陶淵明と同じく、酒から連想する詩人として李白がいます。しかし李白陶淵明では飲み方が大きく違います。陶淵明の飲み方はどこか平静です。労働の疲れを癒すため近所の人を集めて酒を飲むと言った風景が彼の詩の中に幾度と現れます。しかし彼の酒はいつも平静であったわけではなく、酒でしかくつろがせられないわだかまりが彼の中にあったのです。ひとつは自分の抱いている信念が現実社会で阻まれていることへの苛立ち、死への恐怖、そして貧乏。彼の詩のテーマの第一として、田園生活の憧れがあります。田園は彼にとって社会のしがらみをふりほどいて人間本来の姿にたちかえられる姿でした。彼が活躍した六朝の時代は、詩人たちが修辞の美を競った時代で美しい対句で構成されるきらびやかさが見せどころでした。対して彼の詩はそうした詩人たちとは異なり、淡白でことばが平易といわれています。しかしことばの平易さとは裏腹に彼の詩は難解な部分を含みます。その理由としては、あらわな社会風刺が危険なものとしてさけられている点にあります。政治からの解放を求め田園に帰ってきたのですがそれは難しい話で政治と完全に縁を切るのは無理です。そうした中、彼の中にあるわだかまりが屈折した表現となり詩に現れ難しくしています。また彼の詩には哲学詩が少なく生活から起こる想念からことばが連ねられています。彼は弱い体質でさらに貧乏が終生つきまといました。そんな中で彼の詩にはおそれの感情が込められています。死へのおそれは人間の孤独感とも重なります。彼の詩は孤独を詠ったものが多くあります。その孤独感を癒すものとして1つは酒がありました。そして、虚構の世界を組み立てるという手段を彼は発見します。自己の内心の痛みを虚構の世界に再現する。詩を穏やかな言葉でうたった彼のこうした半面こそが彼の詩を味わい深いものにしています。

最後に

勉強記録としてこのブログを書いているので 、本から言葉を借りつつ書きましたが、私自身まだまだ勉強不足なこともあり、正しく飲み込めていないかもしれません。気になる点があればご指摘いただけると幸いです。